ありがとうございます
26.9.2006
日本刀のさばきを20年ほど習ってきた私の手が、この文章を書く機会に巡り合えたことをとても光栄に思います。今私の精神は、試合に集中しているのではなく、数々の出会いや異文化体験から得たこと、そして竹刀の突きというものに込めた思いなどの本質を、皆さまにお伝えしようとしているところです。
1984年から1985年にかけて振り返ってみましょう。
私は日本大使館の前に立っています。頭の中では様々な思いが散在しています。手を持ち上げて、恐る恐る呼び出しボタンを押します・・・。
一瞬が永遠のように感じられました。ベルが鳴り、扉を開けて恐る恐る見知らぬ場所へと足を踏み入れました。そう、とてつもなく深い静けさを表現したいけれども、どうすればよいのだろう。嵐の前の静けさだろうか、いや、かすかな動きもたてない水面だろうか、片手で空を切った結果か、それとも日の出への、又は禅庭のなんともいえない雰囲気への驚嘆か。このような静を介して私の師である儀俄亨先生に、尊敬の念を表したいと思います。
しかし、この方と実際に出会うまで、私は6月5日の日を待たなければなりませんでした。
当時のチェコスロヴァキア共和国で、初の剣道と居合道の模範練習を終えた日本人の先生方の着替え室へと、無理やり足を運んだ時のことでした。剣の達人に付き添っていた40歳代の感じのいい男性に目が留まりました。この方が、私の人生又は私ども全てに深く関わることになるだろうとは、この時点では、私にはまだ思いもよりませんでした。
1986年10月9日
ワインカラーのアウディが、私どもの最初の先生となる儀俄亨先生と奥様の澄子さんを乗せて到着しました。そしてすぐさま歴史的な瞬間が訪れたのです。第一回目の剣道公式練習でした。
しかし、その10分後に私たちの期待をよそに、練習は終わってしまいました。
先生がアキレス腱を痛めてしまったのです・・・。
この瞬間に私どもの希望は消えてしまいそうでした。
しかしながら、私どもも儀俄先生もそこで諦めませんでした。
期待通りのスタートではなかったにしろ、日本大使館側の理解ある判断のお陰で、儀俄先生には引き続き御指導を続けて頂けることになりました。先生は私どものもとへ再び戻って来られたのです。そして全身全霊で私どもを剣道の世界へと導いて下さいました。その上、異文化を知る機会、そして自分自身を知る機会をも与えて下さいました。
今日において私どもの道場では、儀俄先生の教えが文字で表記されたものに対して、敬礼を行っています。先生のその教えは、道場以外においても、各自が心に留めておくべき言葉であると言えるでしょう。
その言葉というのは、「精神・忍耐・礼節」であります。
残念なことに儀俄亨先生は、今は私どもと共にはおられません。思いもよらぬ突然の先生の訃報に際し、私は長い間やりきれない思いでいっぱいでした。なぜならば、私の最初の剣道の師であり、私にとってかけがえのない人でもあるその先生が、休暇を過ごしていたハワイから送って下さった誕生日の祝辞も、訃報と同時に受け取っていたからです。
事実というのは誠に残酷です。この時私は、私の体の一部もこの世を去って行ったような感覚を覚えました。
私はこの瞬間から、言葉の意味のはかなさというのを、以前にも増して深く感じ始めました。
そして、以前には疑問に思わなかった多くのことを、自分に問いかけるようになりました。
その中で、「私の先生とは一体誰だろう?」とも問いかけました。
過ぎ去った20年の間に、私は様々な人に遭遇し、数多くの日本の先生方の下で実践を積み重ねる機会を得ました。儀俄亨先生のお陰で、私を初めて日本へと招待して下さることになった、久保昭さんと出会う機会を得ることもできたのです。
その久保さんのお陰で、さらには荻野泰亨先生と知り会うこともでき、私どもの間には深い友情が芽生えました。
多くの先生方が私のために時間を割いて下さり、突きの練習の際には、ご自身のお体を用いて練習に当たって下さいました。そのような手助けによって私はあるものを学び・・・そして、それを次へと伝承しなければなりませんでした。
しかし、もし1986年に儀俄亨先生が異なった見解を示していたならば、全てが今とは明らかに違った結果となっていたことでしょう。
そして儀俄先生が作って下さったそのきっかけによって、様々な事がこの後も末永く世代から世代へと受け継がれていくことでしょう。先生のお陰で、多くの人がお互いを知り、お互いの成長を助けていくことでしょう。剣が交わる度に、友情の絆がよりいっそう強く結びつき、竹刀の攻撃は自分自身を磨き、そして相手にもその上達の機会を与えることでしょう。剣道の集いは、剣を一度も手に握ったことのない人も、そして握ることがないであろう人にも、日本文化から多くを学ぶという機会を与えてくれるでしょう。武道というものが持つ様々な面を通して世界を見つめることは、もしかすると様々な偏見や不安、また錯覚や幻滅を取り除く手助けとなるかもしれません。
剣道のお陰で、いや根本的には儀俄亨先生のお陰で、「děkuji-ありがとうございます」という言葉をどれほどたくさん言ったことかと、時間の経過と共に思い巡らします。
この20年間繰り返し見てきた場面が、今また私の目の前に浮かんでいます。私の先生方のお顔が見えます。子どもたち、生徒たち、日本人警察官、70歳の男性方の姿が見えます。みんなの顔は鉄の「格子」、剣道の面で隠されています。しかし、竹刀を介して彼らの心はお互いまさに語り掛け合っているのです。
剣道の面を頭から外すという情景を幾度となく思い描いては、私と剣を交えた一人一人に礼をするのです。汗の吹き出すその顔を幾度となく眺めては、剣道の真髄でもあるこの言葉を口にするのです。
Děkuji -ありがとうございます。
私どもが早くも20年を歩んで来たこの道、私やチェコ共和国の全ての人々にその道へ進むきっかけを与えて下さった儀俄亨先生の回想を、まさにこの言葉によって結びたいと思います。
儀俄先生とは一度も剣を交えることはできなかったのですが、先生がお亡くなりになられた後に、先生はいつでも私のお手本であったということを悟りました。私にどのように生きるべきかを示して下さいました。1986年6月の模範練習後に園田政冶先生がおっしゃられた、「剣道とは人生だ。人が成長していくように、剣道もその人と共に成熟するものだ。」という言葉を、自分の生き方や言行によって遵守しておられました。
すべての映画は、「The end.-終わり」という言葉で締めくくられます。
私自身は、「DĚKUJI – ありがとうございます」という言葉によってこの文章を締めくくりたいと思います。
儀俄亨先生、そして奥様の澄子さん、どうもありがとうございます。
私と剣を交えた全ての方々、また私の講義をご清聴下さった方々、皆様どうもありがとうございます。
チェコの剣道の発展に尽力を尽くして下さった方々、その助力が報われるかどうかに関わらず、お力添えをしようとして下さった方々、皆様どうもありがとうございます。
DĚKUJI – ありがとうございます。
前チェコモラヴィア剣道協会 前会長
Vladimír Hotovec (ヴラディミール・ホトヴェツ)